Monday, 28 December 2015

2016年のトレンドは英語試験のリニューアルらしい。

来年5月から TOEICが新形式に変更となるようですが、英検も2016年度第1回から各級(3級以外)リニューアルが行われるとのこと:
実用英語技能検定 2016年度第1回からのリニューアルのお知らせ
2級にライティングが追加されたり、1級ではPointsが消えて自分で考えをまとめる方向に変わるというのは、その理念通りに事が進めば好ましい変更だとは思うのですが、実際のところ懸念も多いですね。

自分で考えをまとめ、理由とともに意見をまとめる」形式やで?

通常の知的生活を送っていれば、英検1級の英作文のトピックとなるような話題に対する意見など、わざわざ英検協会にpointsを提示していただかなくとも構わないのではないか?と思うのだが…(実際、個人的にはpointsで縛られる方が面倒に思っていた)

しかし、「自分のアタマで考える」という習慣のない日本人英語学習者*の世界では、英検1級の対策といえば、もっぱら「過去問や英作文問題集の解答例を丸暗記して、そこからアイディアをパクってくる」という状況のようである。

現状ですらそうであるのだから、今回の形式変更によって、このような悪しき流れが加速していきそうだし、更には準1・2級受験者にも波及していく気配を感じる。

その結果、「自分で考えをまとめ」…という方向への形式変更のはずが、ますます「他人のアイディア丸パクリ」連中の増殖を生む結果になるのではないかと思えてならない。

試験ができるようになりたいのか、英語ができるようになりたいのか?

もちろん、「アウトプットのためには、まずインプットが大事」という考え方は理解できるし、もっと言えば自分の指導でも強調していることではある。

しかしそれは、あくまでも自分の意見・イイタイコトがあって、それを英語でどのように表現・構成するか?という段階になって参考にするためのことであり、自分の脳の働きの不足を他人様に補っていただくためにインプットをするということでは(当然ながら)ない。

試験のことだけを考えるならば、本当は合格するに値する実力のない者でも形だけ結果を得るためには、「模範」解答を丸暗記→転用というのがテスト方略になってしまうのかもしれないが、結局それで普段の英語使用の際にどうなるというのだろう?
また試験においても、たまたま勉強したトピックが出題されれば良いが、そうでなければ手も足も出ない(次の回で狙いのトピックが出題されるのを祈る)ということにしかならない。

英検1級を受験するのであれば、リーディング対策として…というか、そもそも普段の英語との関わりにおいて、社会性の高い話題についての英文を読む機会があると思うが、その時に内容理解で終わってはいけない
読んだ内容を人に伝えたり、自分の意見を述べたりするところまでを射程に捉え、「アウトプットの際に使える語彙・表現はないか?」・「話の展開や論理構成はどのように組み立てられているか?」といったように、参考にできることを見逃さない鋭い眼で読むことで、「アウトプットのためのインプット」の質は格段に向上する。

空虚なアタマのまま「対策」に走るか、超高速の脳の働きを目の当たりにするか?

英検「対策」の授業と言っても、英作文問題のために模範解答を音読・暗唱させるようなものであれば、生徒の脳は実質ほとんど動いておらず、空虚なものである。
仮に、目の前の生徒が自力で理由を3つ考えることができず、まずはモデルを追わせるのであれば、他人の書いた「模範」解答などではなく、教師自らのモデルを提示すれば良い話ではないか。

Hirohitoの場合は、試験対策に限らず、生徒のイイタイコト and/or あたし自身のアイディアを英語で表現するためのモデルを片っ端から示していく。(この際には、まず生徒に考えさせて…などというムダな時間は使わない。どうせ大なり小なり修正が必要になるのだから、正しい英語表現を学ぶ部分こそ他人(教師)の力に任せてもらって、それを頭に定着させる練習を行った方が、よっぽど効率が良い。

模範解答や解答例というのはエッセイを書いた「結果」でしかなく、生徒にとって本当に役立つのは、アイディアの発想と英語で書いていくための「過程」であろう。
このブログを読んでいるような学習者諸君には、その過程における高度な脳の働きに触れつつ自らの脳もフル回転させ、真の意味で英検の出題変更の意向に沿った実力を示した上で目標を達成していただきたい。

☆Here is the Path to Wonderland★

  • Write an essay on the given TOPIC.
  • Give THREE reasons to support your answer.
  • Structure: Introduction, main body, and conclusion
  • Suggested length: 200-240 words

TOPIC
Should learners of English be encouraged to copy and paste model essays of the Eiken test?

Sunday, 20 December 2015

Star Warsブームに便乗して、名詞の性質から見える世界の捉え方を説く。

宇宙戦争たち

この週末、Star Wars: The Force Awakensが封切られ話題を呼んでいるが、そこで warsが複数形であることに目をとめている人がどれだけいるだろうか?

もちろん、今回で 7作目を数えるこの超大作シリーズでは、どのエピソードにおいてもドンパチやっているわけなので、warsと複数形になっていることに疑問を感じることもないかもしれない。

だからこそ、せっかくの機会だから(ということにしてしまって)、今回の記事では warと、その対極をなす peaceという英単語の振る舞いに注目し、単数・複数=つまりは可算・不可算という英文法の規則が、実は「ことばを通じて人間が世界をどう認識しているのか?」という姿を如実に映し出すものであることを見ていくことにしよう。

War: 可算用法も不可算用法もあり

まずは warから観察していく。

Star Warsという映画タイトルからも明らかである通り、warは個々の戦争を捉えて可算名詞として使うことができる:

(1) to win/lose a war 戦争に勝つ/負ける
(2) Britain fought in two wars in the 20th century.
英国は20世紀に2つの戦争を経験した。

一方で、「戦争状態」のことを表す不可算名詞としての用法もある:

(3) declare war against A A(相手)に宣戦布告をする
(4) The country was at war with its neighbours.
その国は近隣諸国と戦争状態にあった。

Peace: 不可算用法のみ!

これに対し、peaceという単語は不可算名詞としてしか用いられることはない:

(5) bring peace to A A(国など)に平和をもたらす
(6) maintain peace 平和を維持する
(7) The countries have been at peace for more than a century. 
その国々はもう一世紀以上も平和であり続けている。

可算・不可算名詞の考え方とは?

Warpeaceも、ある国や地域の置かれる状況(=形のないもの)を表す抽象名詞として、不可算名詞で使われることは共通している。では、なぜ warだけが可算名詞としても振る舞うことができて、peaceはできないのであろうか?

このことを説明する前提として、まずは英語の可算・不可算名詞の考え方を押さえておく必要がある。

可算名詞→他と切り離して区別できる・分解可能

典型的な可算名詞 table (a table / two tables...)で考えていくと、まず tableというものは、その形から他のもの(chairdish, glassなど)と区別することができる。更に、a tableを分解すると、the (table)top(天板)と the legs(脚)に分かれる。

不可算名詞→特定の形を持たない・分解不可能

他方、典型的な不可算名詞 waterの特徴を見れば、「方円の器に従う」と言うように、特定の形というものを考えることができない。また、a bucket of water(バケツ一杯の水)から a glass of water(グラス一杯の水)を汲み出し、そこから a drop of water(一滴の水)を吸い出したところで、量は変わっても「水は水」であり、その性質は一切変わるものではない。

人間は「ことば」を通じて warpeaceをどのような「もの」と捉えているのか?

以上を踏まえていくと、a warとは、たとえそれが百年戦争のように長い期間に及ぶものであったとしても、始まり(開戦)と終わり(終戦)によって歴史の時間軸上で「線分」として切り取られる(=形を想定できる)ものであり、その内部構成は「戦局」と呼ばれるように、様々な状況からなる出来事として捉えられていることになる。
したがって、wartableのように「数えられるもの(物体)」として扱われうるのである。

対して peaceの方は、悲しいかな世界には束の間の平和しか訪れないような現実がある国・地域も存在するが、それでも英語ネイティヴの世界観としては、均質的で、始まりも終わりもなく恒久に続くものと考えられているのである。
よって、peacewater同様に「数えられないもの(物質)」のようにしか扱われないということになる。

この2単語の捉え方の違いは、「期間」を表す duringと共起できるか?という点においても現れてくる:

(8) Many innocent civilians were killed during the war.
戦争中には多くの罪のない市民が命を落とした。
(9) *There was plenty of food to eat during (the) peace.
平和な間には食べるものが豊富にあった。

可算名詞の warは、時間軸上で他と区別できるという性質が想定されているため、「それが起こっている間」として表現することも当然可能である。
しかし、不可算名詞の peaceでは、時間軸上の境界が想定されていないので、英文法の枠組みの上では、duringを用いて「平和な間に」と表すことはできない…少なくとも、現代英語の用法では。

★Here is the Path to Wonderland☆

英文法の用法に変化が生じ、peaceが可算名詞に(も)なって、 'during (the) peace'などという表現が可能になってしまう…
そんな世界は作ってはならない。

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