Sunday 20 March 2016

発売禁止にすべき文房具

■「単語カード」は発売禁止にせよ。

いわゆる「片面に単語・裏面に日本語訳を書いて、輪っかで束ねるやつ」は、まともな語学学習を国策として推進しようとするなら、法律を制定して無理やりにでも禁止するのが良い

ガリレオ自身の学習経験(英語に限らず)を振り返ってみても、単語カードというのはー中学時代くらいに「作ったこと」はあったかもしれないがーそれで覚えた単語など、1つとして思い浮かばない。

「紙を適当な大きさに切って、パンチで穴を開けて、輪っかで束ねるだけ」のものを、わざわざ商品として売るのもどうかと思うし、単語カードをせっせと作る学習者や、それを推奨してしまう教員に限って、単なる作業バカであり(単語力を含めて)充分な語学力が備わっていたためしがない。

■単語カードが語学に向かない理由

同じようなものでも、色彩検定対策用などの「配色カード」や、地図記号や道路標識などを覚えるためにカードを作る…というのは合理的だし理解できる。
* 配色カード


すなわち「カード」とは右脳左脳をつなぐツールとしては強力であり、表裏が一対をなすという前提のあるものを覚えるのには有効だと思う。

しかし一方で、外国語の単語は訳語と1対1で対応するなどということはなく、もっと大きなコンテクストの中で初めて意味が決まってくる。例えば handsomeを「ハンサムな」としか記憶していないと、次のような例に出くわした時に正しい理解が得られなくなる:
He was elected by a handsome majority.
上の例文は、何も「彼はハンサムな多数派に選ばれた(←ブサイクな少数派には選ばれなかった?)」のではなく、"A lot of people voted for him."という意味である。(OALD参照)

もともと handsomeとは hand + -someという成り立ちで "easy to handle/use"という原義を持つ単語であり、「扱いやすい」→「適切な」→「賢い」といった変遷を経て、現在の好意的なニュアンスを得るに至った。上の例では「(数・量が)かなりの」といった訳語が相当する。

このように、あらゆる文脈で生じうる訳語をカードに記載しようと思えば、たちまち記憶もろともパンクしてしまうであろう。また実際、handsomeの裏に「かなりの」と書いてあったとして、
(・ω・?;) ←こんな顔になるだけだろう。

■単語は「覚える」のではなく身につける

では、いわゆる単語学習をどうしたものか。

一つの参考として、ガリレオが 英検1級に合格した際、一次試験の語彙問題は18点/25問であった。その1年前に1点差で不合格だった時は13点だったので、サンプル抽出数が25問ということを考えれば、5点の上昇は結構な伸びとも考えられよう。

ただ、受験の間の1年で、おそらく一般の学習者がイメージするであろうタイプの「英検1級対策の単語学習」というものは、嘘偽りなく1秒たりとも行ったことはなかった。

一方で、授業の題材として and/or 個人的な興味で読んだり聞いたりしていた英文の中には英検1級レベルの単語も当然出てきており、試験会場で問題を解いている最中に「あぁ、あの記事・話題で出てきた!」と思い出すようなものが幾つかあった。

例えば「蝶のことを知りたい!」という状況を想像してもらっても、「標本」は確かにある特定の情報を効率よく知るには有益だが、やはり自然に生きて飛び回っている姿を観察することなく、本当に蝶のことを知ることはできない…ということには納得してもらえるであろう。

語学における単語も、蝶と全く同じである。一人の学習者がどんなに頑張ったところで、「標本」としては『辞書』に勝るものを作成できるわけもなく、仮にできたとしても「やらんでええやん」である。

それよりも、その単語が実際に使われている自然界での姿にたくさん触れ、注意深く観察することこそが大切。その意味では、単語学習というのは単独で切り離して考えるべきものではなく、精多読・精多聴と一体化して、多くの実例に出会ううちに水が染み込んでいくように自分のものとなっていく…というイメージで取り組んでいって欲しい。

☆Here is the Path to Wonderland★

「単語カード」は、究極的には、いわば素人による乱獲