繊細で弱い。その思い込みが自らの "限界"を定めてしまう。
日本人は欧米人ほど筋肉がついていないから、フィジカルに負荷をかけられない-。その通説に対してオシムは、ジェフ時代も日本代表の監督時代も、一度として日本人選手のフィジカルに問題を抱えたことはなかったという。繊細で弱い。そう思い込むのは、コンプレックスであり、そこから逃れられずにいることが自身の限界を定めてしまう。まずは、心の壁をなくして自分を解放せよ、とオシムは提言する。これは日本人サッカー選手のフィジカルに対するオシム氏の考えであるが、日本人英語学習者の英語学習に対するメンタリティにも通じるものがあるのではないだろうか。
『オシム語録 人を導く126の教え』(pp. 12-13)
典型的には発音だろう。「ある程度の年齢に達した後の語学学習では、ネイティヴのような発音は身につけられない」という限界設定。確かにネイティヴと「全く同じ」というレベルを目指すのは非現実的だとしても、自身の英語コンプレックスから限界を定めてしまい、発音がうまくできないことの言い訳に使ってしまうのでは良くない。
事実、よく発音を訓練された日本人の話す英語は、English as an International Languageとして何も臆するものではない。(一方、カタカナ英語を「日本人英語」として押し通そうとするのは、コミュニケーションの相互協調を無視した行為と言わざるを得ない。)現状の絶対数は残念ながら少ないにしても、そのような good enoughな英語を使いこなしている日本人は確実に存在するのである。
冒頭のオシム氏のことばも、だからと言って日本人選手が欧米人やアフリカ人のようになれると言っているのではない。むしろ「日本サッカーを日本化する」という、代表監督時の方針と同じベクトル上の考えで、自分たちの特徴を正しく客観視し、それを生かしたプレイを目指す中で、実際の試合の中で起こりうるフィジカルコンタクトに勝てるための準備・トレーニングを積んでおくことの必要性・重要性を説いたものと読める。
英語発音学習に応用するならば、まず認識すべきは「母語である日本語の音韻体系で区別される音素の数が英語より少ない」ということ。従って、日本語では区別しない L/Rや B/Vを分けなければいけないし、THのような新しい発音方法も身につけなければならない。放っておくと L/Rはラ行音、VはB、THはSになってしまう傾向を持っていることを自覚し、そうならないように意識的に訓練を重ね、自動化=常にLはLとして、VはVとして…など、発音するのが当たり前になる状態を目指す。
この意識的トレーニングの過程は、ネイティヴの子どもが母語を獲得する場合とは全く異なる方法・メカニズムに沿って進むわけだが、これはフィジカル面で日本人がアメリカ人になれないのと同じ。
それでも、試合に勝つためのフィジカルは身につけることはできる。それでも、コミュニケーションを円滑に行うための発音は身につけることはできる。
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