Saturday, 5 November 2016

「努力バカ」教員に当たってしまう不幸

■答えを見るべからず…?

「文法問題集を解くときは、簡単に答えを見てはいけません。正解を見てしまうと分かった気になってしまうので、参考書などを熟読して理解に努め、自力で考えながら繰り返し取り組むことが重要です。」

…一見もっともらしい主張である。しかし、このような努力バカ教員が勧める勉強法による弊害のせいで、結局実力を伸ばす前に挫折してしまう学習者が後を絶たない。

ガリレオ自身、イタリア語などの第2~外国語学習の際には、わからない問題に出会ったらさっさと解答を見て、正しい文を確認するという方針で進めているし、生徒に対しても(とりわけ独習・予習で取り組む場合は)こちらのやり方を奨励している。

■文法学習の到達目標

これもまた、目標と手段の混同による悪弊の一例と言えるであろう。すなわち、「文法問題の答えが正しく選べて、例文の意味がわかる(正しい訳が言える)」ということを【目標】と考えている連中にとっては、そこに至る過程で虎の巻を覗くなんてことは cheatingであり、「もっとマジメに努力をしろ!」ということになるのであろう。

だが、それは本当に語学学習における目標か?

むしろそんなところは出発点であろう。自分の生徒が「答え丸写し」を持ってきてしまうと、それ以上は何も教えられない…などという授業をしているから、解答を見ることが悪(ズル)になってしまうに過ぎない。

(決して世の中に質の良いものが多いとは言えない)参考書などを読んで「自力で考えて問題を解いてくる」という作業をしたとして、その結果、非文をこしらえてきたら・それを書いたり読んだりしたことで、間違った例文が頭に残ってしまったら…本末転倒ではないか?

「正しい文法規則に基づいた例文の意味がわかり、正しい発音・リズム・イントネーションで口頭再生できる」という、語学学習で本来あるべき目標を正しく見据えて授業を行なっていれば、正解の例文を想起するまでの過程は二の次であり、むしろ無駄な時間をかけずに正しい例文に数多く触れ、1つでも多く正しく言えるように音読・read and look upなどの練習にこそ時間をかけるという学習を奨励できるはずだ。

■脱・努力バカのために

努力そのものは尊いものである。また、語学学習は(に限らず何であれ熟達しようとするならば)努力なしに成り立つものではない。

だからこそ、努力の方向の正しさは常に自省・検討すべきです。

☆Here is the Path to Wonderland★

ちなみに、「答えを写してそれで終わり」にするのは、努力バカ以前にただの…( ̄ω ̄)



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