Saturday, 25 October 2014

やたらシャドーイングする(させる)な。

シャドーイング=レントゲン理論

もともとシャドーイングというのは同時通訳のための訓練法であったはずだが、語学教育の世界に持ち込まれてブームになってしまって久しい。
一般的には、シャドーイングは英語プロソディー(リズム・ストレス・イントネーション面)の向上に効果があると考えられているようだが、実際には初〜中級の学習者が得られるものは極めて限定的である。
(よって、「発音最重視」の Hirohitoの授業では、下に挙げるような特定の目的がある場合以外ではシャドーイングを取り入れていません。)

「悪いところ」を見つける

シャドーイングがレントゲンと同じような役割を果たすというのは、(特に文字情報がなく、ナチュラルスピードの音声のみに対峙した場合に)ついていけない箇所を明確に洗い出すということ。
そういった箇所には、
  1. 音声的理由:音変化や正しいリズム等が身についていない
  2. 語学的理由:知らない単語や文法事項が含まれている
という、少なくともいずれかの弱点が存在していることになる。

となると大事なことは、「言えなかった」ところを「言える」ようにすることであって、そのためには初めはゆっくりでも良いから、口の動き・音の変化やつながり・強弱リズムといった面に意識を向けながら音読することが、本来必要なステップとなる。

また同時に、語学的な部分での理解を深めることも重要。(※「シャドーイングをすると正しい意味の切れ目も分かる」という効能(?)も言われているが、それは毎回音声ありきで確認することではなく、なぜそこで切るのかという仕組みを理解すれば、どんな英文でも応用が利くことである。)

写メを撮るノリでレントゲンを撮りまくる人はいないはずであるが、シャドーイングはバカのひとつ覚えのようにむやみに繰り返す学習者(と、それを推奨する教員や教材)は多い。レントゲンもシャドーイングも「悪いところ」を見つけるという用途のためには便利なものではあるが、使い方を間違ってはいけない。

「総仕上げ」には効果的

とはいえ、シャドーイングは「レントゲン的用途」の他にも、反復練習の総仕上げとしては悪くないということは指摘しておく必要があると思う。
最初は音声についていけなかったところが、学習を重ねることによって正しい発音で言えるようになった、というのがまさに「学習効果」というものであり、理想的にはあらゆる教材に関してそのレベルまで到達するまで繰り返してから次に進むというのが望ましい。

教師の仕事としては、「言えなかった」を「言える」に変えるために、目の前の生徒の口元を睨みつけ問題点を指摘し、改善点を教示する…にほぼ尽きると言っても良いのではないか。
間違っても、何の改善の指針も示さないまま、ダラダラと音声を流しシャドーイングを繰り返させてはいけない。個々の音がメチャクチャなのに、「なんとなく」ついていけたことを評価してはいけない。その状態で上達しているように見えるのは、単なる「早口のカタカナ英語」に過ぎないのだから。

★Here is the Path to Wonderland☆

ヤブ医者は、痛みを訴える患者に痛み止めしか出さない。
根本原因を特定し、そこを治療するのが名医。


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