■ 音形あり、意味を求めず?
この週末、各地で成人式が行われたということで、TVでは猫も杓子も「マジ卍」な新成人が多数紹介されていました。この「(マジ)卍」という流行語、ワケノワカランものとして「近頃の若ぇモンは…」と突っぱねるのは年寄りのすることだが、言語学者の立場から見るとなかなか興味深いものとしてガリレオは捉えている。
というのも、我々は普段、何らかの伝えたい意味が先に頭にあって、それを表現するためにことば(=音形)を探すものである。
- 意味 → 音形
しかし一方、「卍」は清々しいほどに意味不明である。"マンジ"という音形(および恐らく、「文字」とも異なる「記号」が SNS上で目を引くということ)が先立ち、意味の方はその場のノリでなんとな〜くやり過ごすのが「作法」なのではないかと感じるほど。
こちらの記事によれば、「最近では<最高! マジ卍>や<めんどくさすぎて卍>など、肯定的にも否定的にも使う。」とのことだが、そのように使える大きな理由としては
- 意味 <--- 音形
これはさしずめ、ルイス・キャロルのことば遊びの構造にも通じうる(cf. 安井泉. 2013.『英語で楽しむ英国ファンタジー』静山社. pp. 161-165)。
■ しかし、懸念も感じる
他方、教育者として、新成人たちの「マジ卍」に対する思考態度には心配になる。上で引用した記事には、以下のような記載もあった:無料通信アプリ「LINE(ライン)」は女子高校生を描く動画を制作。「マジ卍!」に字幕で「信じられない!」との“訳語”をあてた。同社によると、動画を作ったプロデューサーが女子高校生たちに繰り返し意味を尋ねたが、「意味なんてない。卍は卍。あるのは感情だよ」などと返されたという。成人式の様子を紹介したTVのワイドショーでも、複数の番組でレポーターが「卍」の意味を尋ねていたが、反応は同じようなもの。
(下線太字はガリレオによる)
もちろん、この回答が感覚的には「正しい」とも言えるのだとは思う。しかし気になるのは、若者たち(と言うと年寄りくさいのだが…)が、自ら使っていることば(?)の意味を説明しよう・考えようとすらしないように見えるところにある。J. S. ミルの『大学教育について』(セント・アンドルーズ大学名誉学長就任講演)では、以下のようなことが述べられている:
われわれは、毎日目に触れるものの意味を問うというようなことをほとんどしません。それと同様に、われわれの耳もまた、いったんある語や句の音に馴染んでしまうと、その音が果たしてわれわれの心に明瞭な観念を伝達しているのだろうかという疑問を抱かなくなります。そして、われわれが、その観念を明確に規定しようとするとき、あるいはその音声によって理解していると思っていることを他の語句で表現しようとするとき、非常な困難に直面することすら思いもよらないのです。端的な例としては、昨年の Brexitの国民投票や、Trump政権の誕生であろう。果たしてどれだけの有権者が、自らの一票を投じるにあたり、Brexitや "Make America Great Again"の表す意味を明確に規定していたと胸を張って言えるであろうか?
(J.S.ミル著、竹内一誠訳. 2011.『大学教育について』岩波文庫. p.34)
「マジ卍」のようなことばを、"ノリで"使って楽しむことは全く悪いことではない。しかし、一国の進むべき道は "ノリで"選ぶべきではない。然るべきときに慎重な思考・判断を行うためには、普段なにげなく使っている「ことば」に対して、立ち止まって考える習慣を身につけておくことが重要であるとガリレオは考える。
★Here is the Path to Wonderland☆
最後の文、「普段なにげなく使っている『ことば』に対して、立ち止まって考える習慣を身につけておくことがマジ卍」って書きたかったんだけどね ( ̄∀ ̄)Skypeレッスン初回(x2)無料体験実施中!
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